八尾の歴史・伝統文化
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古墳(こふん)時代の王の墓を復元(ふくげん)
心合寺山古墳(しおんじやまこふん)
所在地:八尾市大竹4、5丁目
国史跡の心合寺山古墳は、全長約160メートル、5世紀に造られた中河内最大の前方後円墳で、造られた当時の姿に復元しています。古墳からは甲冑や鏡などの副葬品、家や盾、にわとりなどのかたちの埴輪が出土しています。隣接するしおんじやま古墳学習館では、心合寺山古墳の案内・展示、体験学習など楽しく歴史を学べます。
室町時代の寺内町(じないまち)の町なみ
久宝寺寺内町(きゅうほうじじないまち)
所在地:八尾市久宝寺3丁目3番20号
久宝寺寺内町は、周囲に堀をめぐらし、室町時代から江戸時代にかけて顕証寺を中心にして発展した町です。現在
も白壁やむしこ窓をもつ建物、碁盤の目のような路地など伝統的な町並みが残っています。
八尾市には、久宝寺寺内町のほか、八尾寺内町、萱振寺内町が残っており、八尾のなりたちを考える上で重要です。
江戸時代の新田会所
安中新田会所跡旧植田家住宅(やすなかしんでんかいしょあときゅううえだけじゅうたく)
所在地:八尾市植松町1丁目1-25
旧植田家住宅は江戸時代(1704年)の大和川付け替えに伴い、新たに開発された安中新田を管理するための「会所」の建物を継承した歴史的に貴重な建物です。
展示室では旧植田家所蔵の古文書や絵画、民具などを展示しています。
偉(い)大なる先人たち
聖徳太子(しょうとくたいし)
今から1400年ほど前、蘇我氏・聖徳太子の連合軍と、当時の有力な豪族であった物部守屋との間で争いが起こり、八尾が戦いの場となりました。
聖徳太子は四天王寺像をつくって戦いに勝つように祈り、物部氏に勝利したことから、戦いのあった場所に大聖勝軍寺を建立したといわれています。
弓削 道鏡(ゆげのどうきょう)
奈良時代の高僧・道鏡は、八尾市南部の「弓削」のあたりを拠点としていた弓削氏の出身です。厳しい修行を積み称徳天皇に重用されて、太政大臣禅師から法王の位にまでのぼりつめました。
称徳天皇は、道鏡の出身地に由義宮をつくり、たびたび行幸(天皇が出かけること)しました。
在原 業平(ありわらのなりひら)
平安時代の六歌仙のひとりで、情熱的な和歌を詠む歌人。神立辻の茶屋「福屋」の娘に恋をした彼は、「業平の高安通い」という伝説を八尾の地に残しました。
蓮如(れんにょ)
室町時代から戦国時代にかけて、蓮如上人が親鸞聖人の教えを人々に説き、本願寺の興隆の礎をつくりました。
久宝寺村で布教し、その盛況な様子は「帰するもの市のごとし」と伝わっています。
蓮如上人は、久宝寺御坊とも呼ばれる顕証寺の前身である、西証寺を建立しました。その後、蓮如上人の息子実順や蓮淳によって、久宝寺寺内町が整えられていきました。
今 東光(こん とうこう)
作家・僧侶・政治家・易学者・画家として活躍するなど、多くの才能を発揮しました。
昭和26年(1951年)から昭和50年(1975年)まで八尾に住み、昭和32年(1957年)小説「お吟さま」で直木賞を受賞しました。
作家として、尊敬している谷崎潤一郎さんや、一生の友となるノーベル賞作家の川端康成さんをはじめ、大正・昭和期に活躍した方々との交流が広く、「悪名」「こつまなんきん」「河内風土記」など河内人の気質や人情を題材にした八尾に関する小説も100以上残されています。